no.1 | 産まれたことを

三井朝日
(形式 | テキスト)

少し時間が経った頃、産まれたことを朧げに気づき始めた年代の僕、分かりやすく言うならば、手足が生え始めて、拙くも動かし始められるようになった年代の僕、は母さんに〈もしかして僕は産まれたのかな〉と尋ねて、母さんに笑いながら頷かれたとき母さんの喜びという感情に触れて、安心しつつも、〈これが産まれることか〉と、肩透かしというか、期待はずれというか、漠然と腑に落ちなさを感じた。知っているけど煤けたもののような、懐かしくも執着までいかないもののような、おかしな話だけれど、そういう感覚だった。だけど妹のきらきら光る睫毛の動きを見ると、僕にも喜びという感情が緩やかに、かたちづくられていくのを感じた。

’97 06 05

小林克彰
(形式 | 写真)

私が、母のお腹の中にいた頃暮らしていた家がある。
今でもその家はあるが、私が暮らした期間は母のお腹の中にいた頃を合わせても一年と数ヶ月だったという。
0歳のときの記憶はもちろん母のお腹の中の記憶など今では思い出せないが、たしかにその家で私は暮らしていた。

23年前のある日の朝に、母のお腹をエコーで写した写真がある。そのモノクロのぼんやりとした画面の中に紛れもなく私がいた。
その日、母がエコーで私を写してくれたように、私は母の身体を通して見ていたであろうその日の記憶をフィルムに写そうと試みた。




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